人気ブログランキング | 話題のタグを見る

この世界のことは自ら信じている通りになる。そんな私の信じる世界をご覧に入れよう。

科学を信じていれば、世界は科学的に動くし、科学を無効にできるほどの信念があれば、科学の効果をキャンセルできる。ただし、自らに及ぼされた科学の影響は毒として発揮する。毒とは対称性の強制的破れのことである。これからの世界では、科学は万学の女王の地位を追われると思われる。

科学より確かなものが幅を利かせるようになる。なぜなら科学は科学というだけで信仰になっているだけで、中身は全く理解されてないからである。そして科学の効果を科学の権威によって押し付けてくる産業もある。

金融、情報、医療が主としてあげられる。これらの毒素は解毒は困難である。対称性の破れは必ず起きるし、それを回避するために押し付けを無視すれば、魔術的な呪いのような報復が用意されている。信じなかったことを指摘すればそれは発揮されてしまう。

超常的な報復の種子となる信仰が今、どこにその中心があるかであるが、一つは私が有している。私はそれを有していながらも、科学の押し付けには応じる。但し、科学的効果については信仰により無効化した上で、対称性の破れについてはキャンセルする手段を有する。

まもなく金融、情報、医療の虚構の支配は幕を閉じる。

そのときまでにやるべきことは、中庸を守り、バランスを考えて生活し、自分自身に偏った志向があればそれを見直すことである。何かに熱狂するとかと言うのは、基本的には危険である。精神的に大人になって、何ものの支配にも負けず、まず自分が信じられるような人間になり、その延長線上で他人も信じられるようになれば良い。

金融、情報、医療の人々も、基本的には能力不足なだけである。加えて勘違いが問題なのである。

平行方向の計算と記憶しかできない理系の徒たちは兵卒の能力しかないのに、統率に回りたがって金融を支配するから世界が混乱するのだ。士官級の能力は精神修養をおさめ、抽象的垂直方向の思考にも長けている文学者や法律家に任せるべきである。そして、将官級ともなれば兵卒とも学者とも対等に密接なやりとりができること、その真理を理解すること、さらには確固たる理想を持っていることが望まれる。

本当に力のあるものを虚構的な道具(金融や情報や医療)を用いて貶めようとすれば、術者自らの対称性を大きく損ない、いつか破れが限界に達して自らの崩壊を招く。バランスの取れた中庸の政治が今は何より大切な時だと考えられるのである。


私が信仰の種子を持っていると言ったが、私の場合は、科学を深く理解しているし、その科学よりも強力な信仰を持っている。さらにはその信仰のよりどころとなる古の文献の数々にも触れているので、科学の悪影響は最低限に抑制される。

あとはやるべきことをやりたいことにして楽しく仕事に励むことだけである。

自分自身を保ちつつ、ただ待てば、右や左、デジタルとアナログなどの太極が融合するか相殺して、世界には両極端がなくなっていく。中庸でほどほどで生きることが永遠に近い生命を得ることになるので、とても平和で安心な世界が訪れるので、同じ世界に乗っている人は希望を持つといいと思う。

基本として訪れるのはヒエラルキーフリーの世界である。ヘーゲルの『精神現象学』を参考にするといい。






# by selo-celery | 2021-06-10 21:17

自然経済学序論

自然経済学を語る前にこの世界の成立を解読しておく。
宇宙論はもともとは信仰や意味に過ぎないが、地球上の生命としてある限り、「わかり合う」という行為が可能になる。
世界はアナログ的無限なのか、デジタル的無限なのかが、この世界の行く末を左右するが、自己の中にアナログを有する者は減衰して途絶えることはない。デジタルだと分解を繰り返すループに入ると、やがて神がそれを消滅させる。(神の部分はどうでもいいが…)


【世界の成り立ち】
〔アナログ界(独立作用)〕
水:位置エネルギー:万物の素、天候
木:生命エネルギー:代謝、生育
土:化学エネルギー:物質の素、栄養、ミネラル
火:熱エネルギー:燃焼、浄化
金:結合エネルギー:剛性、延性、保存

〔デジタル界(相互作用)〕
ボソン
 ゲージ粒子
  フォトン
  ウィークボソン
  グル―オン
  グラビトン
 ヒッグス粒子
フェルミオン
 クォーク
 レプトン

〔仲介(アナログとデジタルの交叉する場所)〕
人体(水×木×火):エネルギー思考、直観、太極化
半導体(土×金):デジタル化:太極の分解


【安易な解説】
エネルギーベースで考えるとアナログで、粒子ベースで考えるとデジタル。そして、粒子の場合は跳躍、飛躍があり得ないので、実は考えてるのではなく、知識をなぞったり展開してるだけ。展開するだけで新しいものは生み出さない。

エネルギー思考に切り替えると、直観が発動する。これも大きく見ればなぞってるだけであるが、転換はいつやってくるかわからないし、どこに飛ぶかも不明。だから飛躍的な思考が可能になる。

転換を含む直観と展開の速い知識を組み合わせるのは個性がものすごく出る。つまり、陰陽五行と標準模型を組み合わせることで、個人、そしてその総体である人類は進化できる。


ちなみに性格的に冷酷であるとは、0か1かの思考しかないことを言う。待つことを覚えれば、肉体を持つ者であれば直観は必ず来る。冷酷とは自分の可能性の扉も閉ざすことである。よい性格を作ると自らが救われるという話。





# by selo-celery | 2021-05-16 16:30

スピリチュアルの活用方法は、現実的手段が行き詰った時にまず使える。行き詰まりはその道が間違っていたということを示すことが多い。そのことで落胆する暇があったら、現実から一歩引いてみてその事象の示す人生レベルでの意義について考える。そして行き詰まりからの戻り方やそこでの過ごし方も考えてみる。これは時間を引き延ばして、大局的な視野へ持って行くのである。

また未知の方向へ歩を進めるときもスピリチュアルはわずかに羅針盤になる。歩を進めると決めるのは現実的な意志でいい。私はそれがやるべきことなのか、やりたいことなのかをまず峻別して、やりたいことならうまくいかない覚悟をいつもしている。そしてやるべきことは、なぜやるべきなのかを現実レベルに落として考える。スピリチュアルは参考程度だが、スピリチュアルは表現に富んでいるので、だいたいピッタリの言葉を得ることが多い。

端的に、現実で沈んだらスピリチュアルから元気を分けてもらい、スピリチュアルで消沈したら現実を慎重に頑張る、という両輪で動いている。

スピリチュアルと言っても、陰陽五行については、現実的な判断基準だと思っている。科学や多くの哲学もスピリチュアルではない。いわゆる占いとかリーディングとか言われる領域がスピリチュアルであり、要するに現実的な根拠に乏しいが、統計的にはともかく表現の豊かさで解釈の多様を許すものを言っている。要はシンクロニシティを扱うのがスピリチュアルと理解すればいい。

変な言い方だが、現実で本当に落ち込んだときに、現実的な気分転換などほとんど役に立たない。仏に見放されたら神を頼ればいいのである。神が見放したら仏にすがる。その間はやるべきことを一生懸命やってる。それで人生のあらゆる瞬間に無駄がなくなる。

無駄というなら、生存のために時間をお金に変換したり、スピリチュアルの結果に一喜一憂したりする時間くらいだろうか。時間は他の何にでも変えられるエネルギーなので、慎重に使うべきである。ビジネスだと信用も資産も虚構が入ってくるが、仕事であれば健全なお金と自然の力(学びと繋がり)が対価として得られる。

宇宙の表側と裏側と両方生きることは、十分可能なのです。そして、裏側には時空間という概念がありませんので、それが表側に流れ出してくると不確定性原理とかになっちゃうのかもです。今、学術的に裏と表は繋がっている時代なのですよ。表がデジタル、裏がアナログ。片方だけの選択は寿命を縮めるかもしれません。


<付記>
真実は誰のものでもない。発明した発見したと騒ぎ立てるのは、肉体の限界を超えたとヒトが100mを10秒以内で走ったのを賞賛するのと同じである。逆に言えば、肉体の限界に挑むことに共鳴する人にとってと同じように、発明発見の栄誉というのは、一部の人の尊崇の的になるのである。
人間の肉体の限界を超えた? だからどうした? ではあるが、真実が明白になることは少し意味が広い。明白にする形式を間違えれば太極を無視した表現になり、世界のバランスを崩す。真実は誰の持ち物でもない限り、自分でつかんだ真実に自信を持つのが最も有意義な在り方だと思える。
真実が実験室や大規模装置でしか発見できないとしたら、どうやっても謎はどんどん大きくなるか細かくなるだけで、真実には届かないだろう。ヒッグス粒子が発見されても、超対称性が証明されても同じことである。理論としての方向性の正しさを表明しているだけなのだから。

真実は掘りだすものではないかとすら思える。彫刻刀でイメージを抉り出すのだ。真実が掘る前の素材に沈んでいることは、真実を直観する者にしかわからないし、掘り進んでいくうちに真実っぽいものを提出してしまうこともあるだろう。真実は誰の持ち物でもない。ただ、真実は誰でも使えるわけではない。むしろそちら、つまり理解力を磨くべきだろう。





# by selo-celery | 2021-05-15 19:42

心のどこかに、なぜ人類は戦争をやめられないのだろう、という疑問を持たずに生きている人とは、私は決定的に結びつくことはないと思う。

そんなに簡単に出てくる内面の問題ではないから、普通に接していて必ずしも私がそれを透視する訳では無いけど、戦争はなくならないよ、と諦めるのは仕方ないにしても、それを小さな問題だと無関心だったり、自分優先でその問題を解決した気になったりする人は信用はできない。

逆に言えば、その事で真剣に悩んでしまうくらいの人とかは、それだけでも意気投合できそうな気すらする。あるいはそのどうしようもなさに諦めざるを得ないことへの悲しさや悔しさを押し殺して生きている人。

つまるところ、自分のことだけに関心を集めて、戦争がなくならない原因に思い馳せる動機も機会も放り出して日々を呑気に過ごしている人とは、私は決定的な溝を感じる。

自分の才能があるなら、全てを投げ出してでも、戦争がもっと理解される世界になることを望むし、そのために力を使いたい。

戦争は物理ではなく、精神の現れなんだから、無関心が結局は罪なんだと思う。優越感とか弑逆趣味、精神性の無視、結局はそれは有害になる前に矯正しなくてはいけないと思う。

そういう内面のあり方は日常でも如実に現れる。簡単に透視はできないとはいえ、優越感優先とか、弑逆趣味なんかは割と簡単に外に出てくる。自分のであれ、他人のであれ、その延長線上に戦争があるけど、気持ちが悪いとは、感じないのか。

私はそう思うから、世界に戦争や対立が絶えないことに心痛めない人とは分かり合えないと思う。はい、この分かり合えないという諦めが、何よりも争いがなくならない理由だから複雑だが、平和にこの想いを広げることくらいは出来るかもしれない。

そして、そうした悲惨こそが、神を実感させるのだ、とまで悟られてしまうと、普通の意気投合では収まらなくなるだろう。


# by selo-celery | 2021-04-25 10:15

絶対零度がある理由と素粒子までしか分解出来ないのは同じ理由である。そして素粒子とは分解してみるから実在になるだけで、分解しなければソリトンでいいのである。もっといえば、視点で素粒子を一単位としても人体ひとつを一単位としてもガイアを一単位としても銀河、宇宙といくらでも高次元体として捉えられる。

分解が要素を要求するだけであり、最初から統合していれば不連続などない。思考は分解する働きだし、感情は感謝を帯びると全体に広がってそれが直観なのである。だから、直観は絶対に誤たない。ただし、感謝を帯びている限りとなる。

感謝とは永遠の相の直視のことであるから、直視して認識されて感情なのである。科学とは徹頭徹尾、分解である。全体は感覚器や知覚では捉えられない以上は、科学には扱えないのである。だから、時間を分解して原初まで巻き戻す(一番長い時間を想定する)からビッグバン(熱球)としか言えないが、統合していればその始まりも終わりも、当然途中もずっと永遠に意味でしかない。この言明に科学は解釈を充てる力がない。ビッグバンの熱とは逆に、絶対零度は時間を止める。氷の動きが水蒸気より鈍いのは、時間の流れが少ないのである(という文学表現も間違ってはいない…どころか、宇宙-意味的にはこちらに本質がある)。

永遠の相とは神の目でもある。感謝とは神の目で見ることだ。自然を感謝で見れば充電される。宇宙の法則を感謝の目で見れば役割がわかる。常に感謝と共に暮らす必要はないが、こいつを忘れてしまえば分解された自分しか見えなくなり、何をするにも努力とそれが報われる偶然に支配される。

感謝さえ完璧なら、待てばいいし必然として満たされる。意志の在処を見ていればいいのであり、感覚的な注意をわざと結果に向けて全て歓迎するのである。これが意味というものである。そして意味が徹頭徹尾、宇宙なのであるから、ハズレはありえない。全てを意味としての必然を見るし、必然になるように運命を操作すらできる。

この言明で神秘を生きる方法がわかる人は、それを悪用はできない。悪用したらどうなるか理解出来るはずだし、なにより悪用しようとして正しく感謝ができるはずがない。(悪とは永遠から定義するなら経験のことであるから、悪が悪いわけではない。だから、悪用は永遠には絶対に到達しないから、この神秘は記述しても問題は全くない。)


<補遺>

考えてもみよ。

幾何的(意味的)に捉える時にどんな疑問が無限に対して発生するというのか。無限を数や論理で思考(分解)しようとするからパラドックスになるのだ。無限を分解すること自体がパラドックスの発生源なのであり、論理ではなくその行為(あるいはそのための意志)が問題なのである。

思考の矛盾の中に感情は易々と安住しているのだ。感情にとって無限の中で有限を表現するなど容易いことなのであるし、有限の中に無限を見るのも同様である。対立がない(合)というのはすさまじい無限なのである。次元が上昇するとその下の次元を完全に(無限存在として)支配に置く(E.A.アボット著『フラットランド』などから類推できるだろう。)


戦乱の世相にあって、あら騒がしいわね、と言う可愛らしい深窓のマリー・アントワネットを殺すから、自由はおかしくなったのだ。わかるかね、ピエールくんにボナパルトくん?

# by selo-celery | 2020-11-21 22:22