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愛が絶対勝つための戦略 -自由を奪われし弱者のための戦術指南ー

人間は人間の道具ではない。人間が道具だと言うなら、それは概念の道具である。


絶対に勝つために理解すべき戦略は以上である。この戦略を深く抱くならば、孤立無援でも勝利を得ることができるであろう。

理論はあとにして戦術を述べる。
1.自分が信じている、あるいは殉じよう思う絶対概念を選択しよう。
 例)愛、誠、勇、仁、義、礼、智、孝、悌などなど

2.自分が克服しようと思う、相対概念を選択しよう。(選択しなくても大抵は感情に反応してわかると思うが。)
 例)善悪、美醜、優劣、正誤、真偽などなど

3.選択した絶対概念を深く理解するために生きよう。それを理解するための経験として、相対概念を利用しよう。絶対概念の理解を高め、深める目的以外に、相対概念に囚われることは、自分の存在理由(生存)を危うくする行為だと知ろう。

4.絶対概念を利用して、人間関係や社会活動を定めよう。同じ概念が共鳴することを体感しよう。そして素直につながろう。この項目の理解は、絶対概念「愛」に関わるので、もし「愛」を体現したい絶対概念として選択しなかったならば、本当に不要か、再考しよう。

5.各々、物理的不自由の中で、概念の自由を満喫して生きよう。概念の理解を深めれば幸福は得られる。概念は複数持つこともできるので、それだけ幸福にも種類があると知ろう。絶対概念の幸福は無条件幸福である。相対概念は承認を必要とする条件付き幸福である。

6.5までの戦術が理解できれば、あとは個々人で自由に生きればよい。概念の理解を高め、深めれば、その概念に基づく機能や能力はどんどん大きくなる。(愛を知らないものは、本当の心のレベルで人と関われないが、愛を深く知る者は、慈しみと思いやりと優しさを以て、相手と深く関わり、自分も相手も幸福にすることができる。これは概念への理解の深さと高さに関わる。誠、勇、義なども同様な効果がある。)

7.このミッションを心から理解できるようになった時、あなたももはや指導的立場にある。迷わず、己の信じるところを突き進んで欲しい。当たり前だが、報連相は不要である。不要なだけでしてもいいが、戦術情報(そんなものがあるなら)は秘した方がいいかもしれない。

8.全て終わったら、楽しく語り合おう。絶対概念を抱く限り、絶望も超えられる。そこまで絶対概念を理解してしまえば、敗北はあり得ないので安心していい。自分の肉体が絶対概念の乗り物だと知ったら、楽に死も超越できるだろう。死を超越した人間は偶然や運などで死んだりしない。


理論を少しだけ述べる。

人間は概念として存在しなければ、有限で死すべき存在である。偶然と運に弄ばれる存在でもある。人間は絶対概念を理解しないとき、とことん相対概念に惑わされるのである。選択として、概念に生きない(あるいは無自覚を貫く)のはあり得るが、人間としての真実でもないし、真実でない以上幸福でもない。

真実という言い方をしたが、これも人間の知性であれば信仰の領域であることは否めない。なので、ここではあくまで機能的かどうかという観点で語る。機能的であるとは、その方がうまくいく、というくらいの意味である。

ただ、少し理論的な反論も述べておく。実際に、神を信じない人は多いが、神を信じないというやり方で、実は神は利用されている。神を信じない人は「私は無神論者です」などと言明しない。神を信じているから「神」の不在を知るのである。本当に神を信じていなければ、「神」という言葉を一切使わないという事実で証明するだろう。(神の虚像に期待し裏切られるから、神の実体まで否定するということである。)

人間はそのように複雑な形で神を利用しようとするが、実際には神がその本質を物理化、可視化したのが人間である。無知蒙昧な人間が「神は妄想である」という言明に手を叩いて喜ぶが、その実「人間は神の妄想である」が真実である。妄想の存在である人間の言明が、神の領域に力を持つことはない。妄想に幻惑されるのは妄想だけである。

神の妄想説を(人類の)歴史で説明するものもあるが、そもそも神に歴史はない。そしていかに信じられまいと、世界5分前創造を実行できるポテンシャルも持つのでもある。少なくともそうでないと証明する手法を人間は持たない。科学の反証可能性は科学の限界であり、形而上学の限界でない。むしろそれはカントやウィトゲンシュタインに聞け?

なお、神も一つの概念である。神が内包する概念は無限である。ゆえに、全ての概念を有する。

概念を身にまとって生きるとは神を分有することに他ならない。特に神の根源に関わる概念が絶対概念であるから、絶対概念を深く理解した存在のその存在意義は深く、存続すべき世界においてはとても重要視される。これらを重視しない世界は、運と偶然に支配され、不条理にまみれて不幸なのである。

当然、そんな世界においても力を持つ存在はいる。例えば、地球では、絶対概念ではないが、優劣、強弱、賢愚、美醜という概念は根強く、そのうち優、強、賢、美は善とは正義とも称され、力を持ちやすい。だが、それらは相対概念であり、善や正義の支えなくして力を持たない。つまり、世界を維持するには非常に不安定である。

地球世界が今迎えている危機は、基本的にはこの相対概念の幻想を超越し、絶対概念に基づいた世界秩序を構築することである。秩序は存在の維持を目的とし、存在は愛に支えられるので、維持すべき世界に愛は不可欠である。絶対に愛が勝つのは、その世界が維持されるべきであるときには必然なのである。

愛がまったく採用されない世界は必然的に滅びる。にも関わらず、それを理解しない人によって力を奪われている現状、愛はその絶対性を高め、深める絶好の機会である。今ほど、注目すべき人間が愛に注目できる時代も少ないし、そうでなければ世界は維持できないのである。


備考
概念はすべて活用できるので、いろいろと理解するとよい。言葉で表せない概念もある。数学や自然科学のシステムは概念体系であり、それ自身が駆動力を有する場合もある。知識としてではなく、理解すれば活用できるようになる。絶対概念「智」はこの活用方法を持っている。(わからないものを捨てるのではなく、保留せよ。いつか分かる日が来るのに備えるのが、賢者の道である。)

具体的なものはすべて相対概念である。優劣、美醜、善悪、正誤などは必ず具体例を伴ってしか成立しない。愛や仁、義や勇などは具体例がない。具体例を無限に持ってくることでしか、語りつくせない。つまり、抽象的なのである。定義することも無理である。愛を述べたければ、何が愛でないかを述べるといい。(これはソクラテスープラトンの初期戦術である。)

以上の事情は、わかる人だけがわかるものである。そして、絶対概念は量ではなく、質であるから、少数精鋭どころか、実は一人で戦えるのがミソである。だからこそ、地上に一人しか残されなくても、まだ勝ち目が残される。愛が地上から消えたとき、誰もそこには存在しない。(お金さえも愛の機能を象ったものだ。)

絶対概念を全く体現していない者などいない。愛を全く持たない存在は存在すらできないはずなのである。だから、信頼して愛を追究すればよい。他に希望が見えないなら、なおのこと安心してその作業に傾注せよ。それが天命でもあろう。(希望の見えない状況こそ、必然であり、あなたに与えられた祝福すべき境遇なのです。)



最後に大切なことを、

信じるとは委ねるのではなく、追及することである

(対象は科学でも神でもいいが、その実験精神を忘れれば、理解は知識へと転落して力を失う。)




by selo-celery | 2020-03-12 03:04