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スピリチュアルと哲学と科学と資産運用

スピリチュアルの活用方法は、現実的手段が行き詰った時にまず使える。行き詰まりはその道が間違っていたということを示すことが多い。そのことで落胆する暇があったら、現実から一歩引いてみてその事象の示す人生レベルでの意義について考える。そして行き詰まりからの戻り方やそこでの過ごし方も考えてみる。これは時間を引き延ばして、大局的な視野へ持って行くのである。

また未知の方向へ歩を進めるときもスピリチュアルはわずかに羅針盤になる。歩を進めると決めるのは現実的な意志でいい。私はそれがやるべきことなのか、やりたいことなのかをまず峻別して、やりたいことならうまくいかない覚悟をいつもしている。そしてやるべきことは、なぜやるべきなのかを現実レベルに落として考える。スピリチュアルは参考程度だが、スピリチュアルは表現に富んでいるので、だいたいピッタリの言葉を得ることが多い。

端的に、現実で沈んだらスピリチュアルから元気を分けてもらい、スピリチュアルで消沈したら現実を慎重に頑張る、という両輪で動いている。

スピリチュアルと言っても、陰陽五行については、現実的な判断基準だと思っている。科学や多くの哲学もスピリチュアルではない。いわゆる占いとかリーディングとか言われる領域がスピリチュアルであり、要するに現実的な根拠に乏しいが、統計的にはともかく表現の豊かさで解釈の多様を許すものを言っている。要はシンクロニシティを扱うのがスピリチュアルと理解すればいい。

変な言い方だが、現実で本当に落ち込んだときに、現実的な気分転換などほとんど役に立たない。仏に見放されたら神を頼ればいいのである。神が見放したら仏にすがる。その間はやるべきことを一生懸命やってる。それで人生のあらゆる瞬間に無駄がなくなる。

無駄というなら、生存のために時間をお金に変換したり、スピリチュアルの結果に一喜一憂したりする時間くらいだろうか。時間は他の何にでも変えられるエネルギーなので、慎重に使うべきである。ビジネスだと信用も資産も虚構が入ってくるが、仕事であれば健全なお金と自然の力(学びと繋がり)が対価として得られる。

宇宙の表側と裏側と両方生きることは、十分可能なのです。そして、裏側には時空間という概念がありませんので、それが表側に流れ出してくると不確定性原理とかになっちゃうのかもです。今、学術的に裏と表は繋がっている時代なのですよ。表がデジタル、裏がアナログ。片方だけの選択は寿命を縮めるかもしれません。


<付記>
真実は誰のものでもない。発明した発見したと騒ぎ立てるのは、肉体の限界を超えたとヒトが100mを10秒以内で走ったのを賞賛するのと同じである。逆に言えば、肉体の限界に挑むことに共鳴する人にとってと同じように、発明発見の栄誉というのは、一部の人の尊崇の的になるのである。
人間の肉体の限界を超えた? だからどうした? ではあるが、真実が明白になることは少し意味が広い。明白にする形式を間違えれば太極を無視した表現になり、世界のバランスを崩す。真実は誰の持ち物でもない限り、自分でつかんだ真実に自信を持つのが最も有意義な在り方だと思える。
真実が実験室や大規模装置でしか発見できないとしたら、どうやっても謎はどんどん大きくなるか細かくなるだけで、真実には届かないだろう。ヒッグス粒子が発見されても、超対称性が証明されても同じことである。理論としての方向性の正しさを表明しているだけなのだから。

真実は掘りだすものではないかとすら思える。彫刻刀でイメージを抉り出すのだ。真実が掘る前の素材に沈んでいることは、真実を直観する者にしかわからないし、掘り進んでいくうちに真実っぽいものを提出してしまうこともあるだろう。真実は誰の持ち物でもない。ただ、真実は誰でも使えるわけではない。むしろそちら、つまり理解力を磨くべきだろう。





by selo-celery | 2021-05-15 19:42